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朝本浩文の天才性にふれて欲しいっていう話

文:田渕竜也

この世の中には”天才”というブランドがある。

例えば岡本太郎の太陽の塔を見てみれば「なんかすごいもんがあるな」てわかるし、昭和の時代史と共に大阪万博の熱狂する人達の映像と合間ってそのすごさは間接的ではあるけどなんとなくは実感できるかと思う。
だけどよく考えてみてほしい。あの奇妙奇天烈な塔を見ても何がすごいか説明しろって言われてもそれはおそらく無理じゃないですか。
確かに岡本太郎という作家性の強さが人々を惹きつけるのもあるだろう。だけどそれだけでは「変なものがあるな」ぐらいの認識でしか作品をみられないわけで、ここで重要なことは誰がそれを作ったのかで、その人が一般に「天才」と呼ばれているかである。

岡本太郎=天才というメディアイメージ。これはお茶の間での露出度が高いことで”天才”という一般認識がブランドを完成させるわけで、それは昭和のテレビ史とともにある。この流れがあって初めて太陽の塔が一般認識として完成するということになる。
だからあの奇妙な塔を見ても美術になんの興味もない人々が「あっ天才だ」て簡単に答えられるし絶賛されるわけである。

思い返してみれば、この岡本太郎以降、芸術家という人間に一般に言う天才と言われる人がいない。
それは芸術という分野において”天才”というブランドが岡本太郎のものになっているからじゃないかなと。

結局、芸術というものは大衆にブランドを植え付けて作家として完成するところがある。それはピカソしかり、マティスしかり。
だけどその全くの逆で本当はすごいのに気づかれない知っている人だけが語る天才っていうのもいる。

田中一村という超すごい画家がかつていたけど、彼の絵画なんかは教科書には載っていないし、世間一般的に言えば知っている人はそう多くないだろうと思う。
だから知っている人にとってはすごい人だけど世の中に気づかれていないから、作品を見ても「天才」というより「絵がすごい」という視点になる。

ここから思うにメディアの露出=天才なんて構図が出来上がるわけで、天才という言葉はその人物のメディアブランドであって作品がすごいわけではなく個人崇拝に当たるのではないかと思う。

だからこそ、昨今の”天才作曲家”みたいなキャッチフレーズには懐疑的な目で見てしまうのだ。
だって作品そのもの評価ではなく誰が作ったのかと言うタグでしかないから。

そんなわけで今回は僕なりに知ってほしい隠れた天才として朝本浩文という作曲家をご紹介したいという次第であります。

朝本浩文。
今現在、どれだけの人たちが彼の名前を知っているだろうか?
Auto-mod、Mute beat、Ram Jam world、和田アキ子などさらにはThe yellow monkeyなどそうそうたる人たちをプロデュースしていた人なんだけど、彼の特筆したいのはUAのプロデュースだろうと思う。
まぁまずはこの曲を聴いてほしいなと。

一言で言えば何重にも重なる生音のクオリティーがめちゃくちゃ高い。どの音も埋もれることなくしっかりと整理されていて立体的な空間がある。
当時は小室サウンド全盛期でキラキラとしたシンセサイザーの音がメインストリームの時代である。だけどこう言ったダンスサウンドはのっぺりとしていて空間が平面で「これって本当に音楽か?」なんて疑問点が出てくる。だってものすごくアッパーなテンションで盛り上がるタイミングや制御されたドラムパターンに設定された出力される音。それはある種、インダストリアル的で制御された工場から出荷された生産物のような観点で見られるだろうなと。

だけど、朝本浩文のサウンドってものすごく空間があって人間を感じる。ダウナーで生々しい。小室サウンドとは結構真逆で制御されたプログラミングでもなく人がコントロールする音。ギターの弦から響く倍音に乾いたスネアの音などそれらが不均一だからこそグルーヴが生まれるわけで、これが音の響きとして自然なわけである。
朝本浩文自身、Mute beatというレゲエの派生であるダブというジャンルにおける伝説的なバンドにキーボーディストとして所属していたことからそういった空間的なミックスに対する天才的な感覚が強かったのだろうと思う。
まぁもう御託を並べるのはやめるとして結局、僕は朝本浩文が作り出すChillなビートやダブな音の空間が好きなのである。


めちゃくちゃ有名な曲なんだけど、ど頭のサンプラーで叩くドラムからのベースとスライドギターのイントロの流れがものすごく生々しくて人間臭い。レコーディングメンバーもギターに今剛とかつてのバンドメンバーであったMuteBeatのベーシスト松永孝義。完全にダブとして完成している。とにかくかっこいい。これ以上は書くことがない。じゃあ逆にレッサーパンダの愛らしさを説明しろと言われても「なんかもふもふしてるじゃん」しか言いようがないじゃないですか。
だから語彙力は消えてしまうけど単純に音が好き。以上です。


ここまで音数少なくて、スローテンポでもたせられる作曲家って他を知らない。とにかく響きが美しい。
こんな曲をJpopとして売り出そうとするのは天才以外何者でもない。多分、ここまで空間を作れる作曲家って他にいないと思うのだ。

制御された売れる音楽を生産的に作られるようなった90年代でも、妥協せず響きを追求して素晴らしい物をリスナーに提供してくれる。
まさに天才と呼ぶべき人だったのだろうと僕個人としては思います。
もう朝本浩文はこの世界にはいないけど今回は少しでも彼の天才的な作家性にふれて欲しいと思った次第であります。

それでは

田渕竜也のTwitter

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