【現代都市伝説考察】学校備品とランドセルから考える集団洗脳行動
たまにめちゃくちゃ部屋の中を隅から隅まで掃除したくなることがある。そんな時は髪一本とて妥協はできない。
普段はだらしない服なんかも脱ぎっぱなしな生活を送っているくせに何かイラついたこととかなんとかが重なったりだとかなときに限っていつもより部屋が綺麗になっていたりする。
そういった心理状態は一説によると心の余裕のなさから一種の八つ当たりみたいな状態にあるそうだが、そう思うとミニマリストなんかはそのものを捨てる行為そのものが自失的であり、そういった自分を消すという感覚体ベースで考えれば酩酊状態の薬物依存と同じ状態なのではないかと思う。まぁそんな依存という状態の話は長くなりそうなので別の機会にするとして、掃除をしていれば「なんでこんもんあるんだ」てなものが開いたクローゼットからはたくさん出土してくる。そんな品々を手にとって眺めていると結構な時間が経っていたりするわけで…。
そういった出土した不要なものってだいたい義務教育期間に於ける強制ではないにしろほぼ無理やり買わされた品々でなんとなく手に握ったゴミ袋へ入れることが心苦しくなって捨てにくい。
それらに対して別にいい思い出があるわけじゃないし、使い勝手がいいとかそんなことはない。むしろ使いにくいものばかりである。
例えば、ものさし。これなんかは百均で買えばいいものをわざわざ線を引くところが見えない竹でできた物差しを買わされたけど、おかしいと思いませんか。高い上に使いにくい。しかもメモリも見辛い。これならまだ百均の定規のが使いやすいし、お値段もお手頃である。
ランドセルだってそうだ。別に法律で「ランドセルを背負わないと…」なんて罰せられる条文があるわけじゃないから別にセカンドバッグやアディダスのリュックでもいいはずである。
だけど幼稚園から小学生になるタイミングで一斉に貧富の垣根もなしでほぼ強制的にあの奇妙なカバンを買わされる。重いしものも入らないし使い勝手も悪い。別にランドセルというカバン本体よりもなぜあれじゃないといけないのかという話である。
思うにこれは「ランドセルがないと小学生になれない」という世間体を気にする一種の集団洗脳みたいなものがあるんじゃないかと思う。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というギャグがあるようにみんなだと恐怖はないけどみんなと同じじゃないとその集団には入れない。この心理って生存本能から由来している。
例えばジャングルの猿においてでは集団の方が生き残る確率が高いから多数派を重視する。それと同じで人間も多数派の方が有利ということは知っている。特に子どもであれば初めて踏み入れる広い世界ならなおのこと、みんなと同じでないとその社会では生存できない。
生存できないイコールはみごにされるのである。
だからランドセルを買わないと集団に入れない、故に買わないと社会に入れないから不幸になると考えが生まれてくるのではないかと思う。この脅迫めいた心理の動きは生きる上で不要な品々を買わせる広告代理店のスタンダードな手口である。
この無駄なものを買わせる手口は宗教の仏壇や壺を買わせることと全く同じ原理だと僕個人は考えています。
そもそもなぜランドセルを背負うのか?
これをしっかりと説明することができない。丈夫といってもそれは人それぞれだし壊れる人はすぐ壊れる。それに小学生という成長期ゆえに体が大きくなりカバンが合わなくなってくるおかしなサイズ感。それに重たすぎる。
頭とんちなクソババアたちはそんなことやコケた時のクッションになるとかいう人もいるけど、前方からこけたらなんの意味ないじゃん。
そんな問題点の多いランドセルに”さんぽセル”という機能を発案した小学生がいた。これはランドセルにキャリーをつけて重さを軽減しようと考えたアイデアである。まぁここまでするなら素直にリュックにしなよとは思うけど、アイデアとしては素晴らしいと思う。
だけどバカな意見も多々あって「楽をしたら筋力が弱まる」などと批判されこれが巷で言う「さんぽセル議論」となっていった。
だけど結局、これを非難している人たちが言いたいことは「ランドセルを背負う小学生は美しい」しかないんですよ。恐らく制服の短パンだって同じことを言うだろうなと。全てはシンボルに集約されている。「小学生なら小学生らしく…」そんな価値観がガッチガチに固まっているからこそ異端に対しては排他的になるわけで、これはもはや宗教改革直前ぐらいのキリスト教みたいになっている。
だから学校の備品という高価なものなぜ買わされるのか?と考えてみたら一番の理由としてはさっきから言っている通り集団洗脳である。
「集団に入れなくなると社会に入れません」という恐怖心を煽っているだけ。だから学校という空間において「いじめ」という排他的行為は実は学校側にとってはとても都合がいい。教師自ら罰せずとしても生徒が勝手に私刑を行ってくれるから。それに学校物販にとっても都合がいいわけで。ここから思うに学校利権ってめちゃくちゃ巨額のお金が動くんだろうなと。少なくとも一年に一回は大きなお金の流れがやってくるんだし。
以上が僕が考察する学校に関する洗脳と利権の関係性である。あくまで僕個人が考える都市伝説ですよ。
それでは。