第38回もう一度まなぶ日本近代史~ダメだコリア、甲申事変~

文:なかむら ひろし

 前回は、初期議会を見ていきました。第一議会から第四議会は軍拡のための予算を通す通さないで揉めていたのですが、続く第五議会・第六議会は外交問題が争点になったというところまでやりました。今回は、議会の内容よりも先に、どのような外交問題があったのかを見ていくことにしましょう。

父と嫁による骨肉の争い

 以前、明治政府は鎖国状態にあった朝鮮と日朝修好条規を結び、朝鮮を開国させたという話をしました。ここでは、朝鮮の国内をもう少し詳しく見ていきます。
 まず、この頃の朝鮮の歴史を理解するのに押さえておいて欲しい3人の人物がいます。国王の高宗・高宗の父親の大院君・高宗の妻の閔妃です。大院君は、幕末から明治初期にかけて朝鮮の実権を握っていました。強硬な鎖国政策を押し進めていたのも彼です。しかし、大院君の独裁政治に対する反感も多く、閔妃は反対勢力と結び付いて、大院君を失脚させました。この閔妃政権の時に日朝修好条規が結ばれています。閔妃を支持した人の中に、金玉均や朴永孝といった開国して近代化を進めるべきだという改革派もいて、閔妃は日本から軍事顧問団を招くなど改革を進めていました。
 「あれっ?国王の高宗は?」という声が聞こえてきそうですが、この人に政権担当能力などありません。日本でいうところの天皇のような存在などでは決してありません。ただただ政争に勝った派閥の言いなりになるだけです。この人が活躍(?)するのは、もう少し後のお話です。一応、名前だけは覚えておいてください。

大院君の逆襲

 大院君を排除した閔妃は、改革派官僚や留学生を日本に送ったり、日本人軍事顧問団を招いたりしています。この時、日本に訪れた金玉均は、福沢諭吉と交流を深め、福沢も大いに期待しました。また、日本人軍事顧問団の勧めで軍制改革を行い、近代式の軍隊「別技軍」を創設しています。
 日本をモデルに改革は上手く進んでいったのかというと、まったくそうではありませんでした。改革派も日本をモデルに改革を進めようとする独立党と清国をモデルに改革を進めようとする事大党に分裂しており、一枚岩ではありません。また、別技軍はその名前からわかるように旧来の軍隊とは別に創設されています。まず別技軍を試してみて、上手くいったら正規軍にも取り入れようという感じです。しかし、別技軍が創設されると、旧来の軍隊は放ったらかしで給料の未払いも続いたことなどから、閔妃に不満を爆発させたのです。1882年(明治15年)、事大党はこの軍隊と協力し、失脚していた大院君を担ぎ出し、反乱を起こしました。これが壬午事変です。これにより、閔妃派の要人だけでなく、日本公使館は焼き討ちに遭い、日本人軍事顧問などが殺害されました。こうして、大院君は再び政権の座に返り咲いたのです。しかし・・・

宗主国様のお出ましだい!

 事変を聞いた日本政府は、「ふざけんな!」と朝鮮に軍隊を派遣します。公使館を攻撃されることは、戦争をしかけられることと同義です。しかも、日本公使館を守らなければならいはずの閔妃は、さっさと逃亡しています。日本政府は、大院君に責任を取るように言いますが、「今はそれどころではないんで」と無視します。日本と朝鮮は一触即発という状態です。そこに現れたのが清国です。実は、逃亡した閔妃は日本ではなく、清国に救援要請を行っており、清国も軍隊を一足早く派遣していたのです。外国嫌いの大院君がトップの座に居座り続けると日本と朝鮮は戦争を起こして面倒なことになると考えた清国は、なんと大院君を天津に強制連行して、幽閉してしまいます。こうして、一瞬のうちに政権が閔妃の下へ帰ってきました。
 そして、日本と朝鮮との間で結ばれたのが済物浦条約です。この条約では、日本に対して謝罪と賠償・首謀者の処罰・日本公使館を守るための軍隊駐留が認められました。これで日本としては、被害はあったものの上手く解決できたという感じなのですが、清国と朝鮮の間に清国朝鮮商民水陸貿易章程が結ばれたことが、日本とって厄介なことでした。これによって、朝鮮は清国の属国であることが明文化されたのです。つまり、清国は朝鮮に対して堂々と「てめぇは俺の子分なんだから、俺の言うことを聞いてりゃいいんだよ!」と言えるようになったわけです。

閔妃が親日派?またまたご冗談を

 よく教科書なんかでは、閔妃(親日派)みたいに書かれていることがあるのですが、これはまったく違います。日本に近づいたのは、大院君を倒し、実権を掌握する手段でしかなかったのです。壬午事変を通して、閔妃は「なんだよ日本弱いじゃん。やっぱり頼りになるのは宗主国様しかいないね!」という具合で、この人に思想などはなく、権力さえ手に入れば何でもいいのです。
 閔妃が清国に傾き、清国による朝鮮支配が強固なものへとなってしまったことは、日本にとって大きな痛手でした。本来は、金玉均ら独立党を支援して、朝鮮を近代化させたいところだったのですが、表立って独立党を支援することは日本よりも大国である清国にケンカを売るようなものです。しかし、独立党と完全に手を切ることは、日本の敗北を意味します。
 そんな状況に焦りを見せたのは独立党でした。最早、自分たちの理想を実現するためには、閔妃を排除するしかないと実力行使に打って出ようと考え始めたのです。彼らは、日本に対して支援を求めますが、日本は曖昧な返答をするしかありませんでした。

またしても日本公使館炎上

 日本から積極的な支援を受けることができなかった独立党でしたが、福沢諭吉ら一部の日本人は支援を行っていました。福沢は、自身が創立した慶応義塾に留学生を招き入れたり、朝鮮の漢城に『漢城旬報』という新聞を作ったり、ハングルの普及にも努めました。
 そして、そんな独立党に千載一遇のチャンスが巡ってきます。清国とフランスがベトナムを巡って戦争を起こしたのです。清仏戦争です。独立党は、これによって清国の視線が朝鮮から逸れると考えたのです。実際に朝鮮に駐留していた清国軍の数も減っていました。在朝行使竹添進一郎も独断で独立党に協力することを約束し、1884年(明治17年)、いよいよクーデターが実行されることになりました。甲申事変です。
 金玉均は、高宗と閔妃を連れ出し、新政権を発足させました。そして、朝鮮は独立し、清国への朝貢を中止することを決定したり、改革に乗り出します。しかし、フランスと戦っていた清国は思った以上に早く撃退され、ベトナムを失ったことで朝鮮に対する執着を強めており、閔妃が密使を清国に放ち、救援要請を行ってしまったことで事態が一変してしまいます。清国軍は、王宮を警備していた在朝日本軍の10倍近い兵力で押し寄せます。日本人はここでもまた殺害され、再び日本公使館は焼失してしましました。金玉均の新政権はわずか3日で崩壊、竹添は日本に撤退し、金玉均らも日本へ亡命しました。

朝鮮に振り回される日清

 またしても被害を受けた日本は、朝鮮と漢城条約を結び、謝罪と賠償をさせました。ただ、今回は首謀者の処罰はありません。首謀者は閔妃ですからね。また、軍隊の駐留に関しては、清国と交渉することになります。伊藤博文と李鴻章、10年後に再び顔を合わせることになる2人です。ここで結ばれたのが天津条約です。その内容は、「両国共に朝鮮から撤兵し、軍事顧問団も派遣しない。そして、有事の際に出兵することがあれば、お互いに事前報告する」というものでした。日清両国が朝鮮から手を引くことで、一応独立国として頑張ってもらうという感じなのですが、独立党が一掃された朝鮮に期待はできません。しかも、再び政権に返り咲いた閔妃が「清国はゴチャゴチャうるせぇからロシアを頼ろう」と言って、ロシアに近づこうとしてものですから、清国の方も怒り、幽閉していた大院君を朝鮮に返して、閔妃が倒されることを期待するような有様です。
 一方、その頃の日本国内はと言うと、自由民権派が大暴れして激化事件が横行していました。実は、自由民権派は清国・朝鮮に対してめちゃくちゃ強硬論者です。征韓論争の際、板垣退助が即時出兵とか言ってたくらいです。甲申事変後に清国と天津条約を結んだことを「弱腰外交」だと政府を激しく批判し、1887年(明治20年)に自由民権派の大井憲太郎が朝鮮に渡ってクーデターを起こそうとするも事前に発覚し、大阪で逮捕されるという大阪事件が起こっています。これが第五議会・第六議会で争点となった外交問題のひとつです。民党は「清国との即時開戦」を主張していたのです。「減税しろ!」と言いながら「清をやっつけろ!」とかなかなかの無茶振りです。あとひとつの外交問題については次回やっていきます。

朝鮮はこの世の地獄

 甲申事変後、独立党要人だけでなく、3親等以内の家族も凌遅刑に処されています。凌遅刑とは、肉体を少しずつ切り刻まれ、苦しみながら死んでもらうという最も残酷な処刑です。また、日本に亡命していた金玉均も後に上海に渡ったところで暗殺され、その遺体はバラバラにされて、5箇所で晒されています。
 これに激怒したのが福沢諭吉でした。福沢は、それまで朝鮮の独立を支援してきましたが、もう限界だと『脱亜論』を発表します。そこには「朝鮮はこの世の地獄」「あいつらとまともに付き合っていたら列強にあいつらと同じ未開人だと思われる」などと書かれています。朝鮮は、あれだけ応援してくれていた福沢にも見放されてしまったのです。

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朝鮮の独立と近代化を目指した金玉均。
すばらしいことを行おうとしていたのですが、軽率すぎました。
一気にいろいろな人を敵に回しすぎですし、閔妃が清国に密使を放てたのもこの人のミスです。
また、「上海に渡るのは危険だ」と言われていたのに行っちゃって悲惨な死に方。
この人がもうちょっと慎重に行動していたら・・・いや、どうせ同じような道を辿ることになるか。

 次回は、第五議会・第六議会の争点となった条約改正についてやっていきます。そして、遂に日本と清がぶつかります。

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