/ Column

Lo-fi Hiphopにおける無意味な空間とブレイクコア待望論

文:田渕竜也

2019年ごろからインターネット界隈で人気があったLo-Fi Hiphop。
だけどこれが時代の潮流とともにそろそろ変わろうとしているのではないかと思っているのである。

このジャンルについてよくわからない人たちのために少し補足すると「ペラいドラムに揺らいだコードサウンドのあるHiphopビートの音楽」とでも言えばわかりやすいだろうか?もしくはペラいHiphop=Lo-FiHiphopという解釈でも僕個人ではOKだと考えています。

まぁ楽曲に関してはどれを聞いてみても劣化版Nujabesみたいでだいたいの構成的なフォーマットは仕上がってしまっている。
こういったお手軽フォーマットみたいな構成が完成してしまっている結果、作品数が無数に広がってアニメの一部をサンプリングした映像とともにその「チル」という枠組みでブランディングが形成されていったのだろうなと。

ちなみに「チル」という表現は寝室で聞くようなものを指します。

そんなブランディングが完成されてしまっている以上、さらなるこのジャンルのアップデートが必要になってくるんだけど、どうにもここから先はそれがないと思う。

革新性がないというのはそもそもでいうとこの界隈での無意味な空間という問題にあるかと思う。

なんとなくずっと絶え間無く再生される音源とそこにあるメッセージボード。
メッセージも同じような挨拶ぐらいで終わりなき現実というものが垂れ流されているだけなのだ。そこには革新性こそ恐怖であってこの鳴り止まないビートが止まる時、それこそがこの世界の崩壊でもあるのだ。
だから量産型が多く生産される一方で革新的な発想の英雄が現れることがない。平穏こそがチルでありリラックスな自己空間であるから。

そもそもでいうとこのジャンル自体がNujabaseに始まり、Nujabaseに終わったようなものでブームだったかどうかは怪しいラインではあるのではないだろうか。

いくらその音楽のフォロワーが増えようと全てがオリジナルの劣化コピー版ぐらいと言ってもいいクオリティの作品が発表されていったらメディア消費という形で廃れていくのは当然といえば当然だし、この無意味な空間に癒しを求めた人たちも成長してそのなにも変わらない異常性にも気づいて飽きていく。

この流れに近いなと思うのが90年代終盤にあったトランスブームだったと思う。
あれなんかはBPMを速くしてカットオフ適当にいじっただけでリミックスなんていちゃってミドルの音削ってBPMを落としただけで「Lo-FiHiphop」とか言ってんのとほぼ同じな訳ですよ。ターゲットがギャルの内輪か部屋篭り層の内輪かの違いだけ。確かにこのどちらジャンルでも代表的なアーティストを上げようにも誰も出てこない。

だからそろそろ新たな癒しをもとめこの界隈の大移動がはじまるのではないかと思うのですよ。

新たな大地、それはブレイクコア界隈である。

ブレイクコアとはなんぞやといえば、やかましいハードコアみたいなのを連想したりバスドラ歪みまくって、ゴリゴリな感じがするかと思います。しかしこれは旧来であってバージョンアップしたブレイクコアはLo-Fi Hiphopの流れとともにかなりチルな感じになってきています。エレクトロとかそんな感じ。
というよりもこういっった激しい音楽はメタルよろしく様々な音楽に接近しやすいためかなり分散化してしまう。
ときにはIDMとも呼ばれてたり、もっと細かいジャンル分けがあるみたいだけどここではとりあえずそれっぽいドラムの総称としてブレイクコアと一括りにしてしまいます。

どのように発展していったかについてはLo-Fi Hiphop同様、インターネットとの繋がりが大きい。

しかしアニメのコラージュや流用、サンプル音源にによってアートワークを構築する表現って実はブレイクコアのほうが歴史は長い。
その系譜をたどれば90年代中期ごろのデジタルハードコアやノイズコアなど原始的ブレイクコアから遡ることができる。

デジタルによって作り出されるノイズやビートが日本産アニメのエログロ要素とショッキングなバイオレンス性というように身体的リアリズムをもちいた過激な「おたく的表現」との親和性が高かったのかと思う。

また当時は日本産アニメの海賊版ビデオがヨーロッパのアンダーグランドなところで流通していたのも大きいかと。これが今日に至る日本産アニメーションがHENTAIと呼ばれることにもつながってくるんだけどね。

だからこの界隈における引用される作品は丸尾末広作品だったり、Lainや攻殻機動隊などには過剰なほど身体表現があるし、この部分が一定の評価にもつながっている。このポルノグラフィ的な暴力性、セクシャリズムこそがジャパニメーションとか言われていたものの正体でもある。
話は逸れたけど、このようにアンダーグランドカルチャーこそが今日至るブレイクコアの精神でもあるかと。

すでに話をしている通り、現在のLo-Fi Hiphopとは変化のしない終わりなき日常に一コマになってしまっているのが大きな特徴である。しかしインターネットとは消費物である。静かな何もない音楽の後にはいずれは反発して激しい方へと流れていくものだろうと思う。

そう考えるとブレイクコアである。

というよりもこの界隈って毎年、「来るぞ!」って言われているんですよね。

最後に僕個人としましてはとりあえずYoutubeに落ちてあるdeadmau5やSquarepusherあたりから聴き始めると今日のIDMと呼ばれるブレイクコアの流れが掴めるかと思います。

それでは。

田渕竜也のTwitter

ついったウィジェットエリア