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HIDEをそろそろ成仏させてやったらどうや パート2

文:田渕竜也

高校時代から卒業してもう十年以上も経つのに、今だに自分のギターが壊れてしまって、知り合いのhideモデルのイエローハートを借りてライブに出た夢をみる。そしてライブでの一曲目に勢いよく弾こうとしたその瞬間、シールドが抜けて「ビガーーー」とアンプから鳴るノイズの嵐。あたふたしている間にグダグダになってしまったそんな平成の悪夢をこの令和の現在でも見てしまっている。
これはある種、取り憑かれている状態であって、その頃のしくじった自分が呪縛霊として、現在の自分に重くのしかかっているのである。これを成仏するにはそのしくじりを「完全に100%忘れる」ということでしかなく、一寸でも記憶が残っていたらまるでウイルスのように増殖し、また黒歴史として蘇ってくる。そんなわけだから忘れかけていると決まってこの夢を見て思い出すからなおたちが悪いのだ。

そんな話を前置きではあるけど今年でhideの永眠から25年になる。そんでソロデビューは30周年という2023年はhideのメモリアル的な年でもある。なんとなくZeppのスケジュールを覗いてみたら2023年の春にはhide with spread beaberのツアーが組まれていて驚いた次第であります。ていうかどうやるんだこのライブ。ホイットニー・ヒューストンみたいにホログラムでもやるつもりかね?

そもそも没後のメモリアルとはいえ流石にhideに関するイベントは毎年のように多すぎる。
半自伝的映画やなんの思い入れもないようなアーティストたちを集めたトリビュートアルバムなど挙げれば幾度ともあり、
その度に「何がしたいねんこれ?」という思いに駆られた人たちもいるだろうかと。

考えてみたらあの生存説があった2pacやエルビス・プレスリーたちだって、もう令和の時代では音源やメモリアルなことはやってない。
それなのにhideというコンテンツだけはほぼ毎年のように何かしらの形で更新される。まるでどこかの誰かが意図的な感じで。
いやもはや関係者の誰かがキリスト教のマタイ伝のように、忘れさせないように神格化し、どんどんと伝説だけがつけ足させられているようにも思う。

当サイトでは過去にhideを成仏させてやったらどうやという話をしたかと思う。

それはもはやここまでメモリアルをやれては亡霊化されようとしているように思えるからで、今のこの状態は「アーティストhide」ではなく「コンテンツhide」になってしまっている。半自伝的映画を何度も擦られ、カバーアルバムばかり量産されてはただのコンテンツであって、これは本当にhideが望んでいたことなのだろうか。
というよりもhideが作ってきた音楽はずっと残るだろうし、この音楽で救われる人は勝手に救われる。
これ以上何を語るというのだろうか。
だから語り尽くされたこのhideというアーティストの人的部分はこれ以上語るにはもはや神話の状態であって、hide個人ではないじゃないですか。

僕の思うhideの最終結論は98年の年始ぐらいにロサンゼルスでレコーディングしていた時のインタビューだ。
そこにはその年の待望を語っているhideの姿であってこれ以上は何もないと思うんですよ。
だからこそこれ以上のないかしらのトピックはないだろうし、これ以上に広げる話もないだろうと思う。
全ては憶測になってしまうけど、その98年の映像ではすごくワクワクして期待しているhideの姿があった。
思うのは現在の形ではかつてhide自身が嫌った売名行為や慈善活動をひらかすような行為に近い形になってしまっている。
だからこそこれ以上に何があるのかっていう話です。

そして思うにhideのメモリアル関係に関しては2008年のhide memorial summitで完結しているのではないかと。
十周忌追悼に開催されたこのイベントではhideにゆかりのあったZEPPET STOREの木村世治さんやOblivion Dustが出演していて、若手バンドの発掘もやってきたhide自身の「かっこいい」というもの自体の集大成でもあった。
それから解散から復活したLune seaとXが同じイベントに出演していたりしてそれはある種、hideから始まったヴィジュアル系というもの自体の完結でもあったのではないだろうかと思うのですよ。

80年代終わりあたりから90年代中盤ぐらいまでそのヴィジュアル系シーンで両巨頭として走ってきたバンド。
この二つのバンドが00年代を迎える前に解散して、これはこの第一世代ヴィジュアル系という一つの区切りでもあった。
そしてそこから8年後ぐらいに再結成してこのメモリアルイベントで共演して、このイベントにはヴィジュアル系第二世代としてDir en grayやMuccがいたりネオ・ヴィジュアル系としてDaizyStripperやheidi.
など各世代のバンドが一堂に出演していて、これはもしかしてヴィジュアル系に対する追悼だったのではないかったのではないかなと思う。

ヴィジュアル系自体の追悼。

これがものがたるのはそもそもXの概念にあった破壊であってそれは結末でもある。
だから僕個人としての見解としては何度も言うように「そろそろhideを成仏させてやったらどうや」なのだ。

それでは。

田渕竜也のTwitter

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