第1回もう一度まなぶ日本近代史~鎖国下の日本と世界~
日本近代史というと、教科書などでは開国から始まるのが一般的なのですが、ここではより流れを理解していただくために、ちょっとした予備知識を知っていただくことにします。
何だかわからないけど、いきなりアメリカからペリーがやってきて、日本を開国させたといわれても困りますよね。アメリカだって「そうだ、日本に行こう」という具合で、思いつきの弾丸旅行で日本にやってきたわけではありませんし、日本だって「ヤバい奴が来たからいう通りにしておこう」といって開国したわけでもありません。アメリカ及び欧州列強が日本を開国させたかったことにも理由がありますし、日本が開国したのにも理由があります。
まず、日本の鎖国について書いておきましょう。
江戸時代の日本は、戦国時代が終わり、徳川氏の安定政権が続いていました。その中で幕府は、鎖国政策を続けていました。
鎖国と聞くと、外国との国交を絶ち、排外的な態度を取っていたと思われがちですが、それでは正しくありません。日本の鎖国は、あくまでキリスト教の禁止です。
欧州では、キリスト教が元で大規模な宗教戦争が繰り広げられていました。中でも「三十年戦争」と呼ばれるカトリックとプロテスタントの戦いは残虐極まりなく、一説にはドイツの人口は、1800万人から700万人にまで減ったと言われています。
幕府はそんな宗教戦争に巻き込まれたくはありませんし、国内でもキリシタンが天草四郎を担ぎ上げて武装蜂起を行っているなど穏やかではありません。あくまで幕府は、危険なキリスト教国との国交を拒絶したのです。
その証拠にキリスト教国ではない清(当時は明)やキリスト教国ではありながらも布教を行わないオランダとは国交を続けていました。また、その他のキリスト教国とも完全に国交を断絶したのではなく、長崎を窓口として用意していたので、幕府も国を閉ざしている感覚はなかったといわれています。鎖国という言葉は、国交を拒絶されたキリシタン側の史観に基づいて作られたものなのではないでしょうか。
続いては、欧州の歴史の流れをおおまかに見ていきましょう。どうして、欧州列強がアジアの極東、日本くんだりまでやってきたのかが分かると思います。
宗教戦争→白人同士で悲惨な殺し合いを続けるのはさすがにヤバいので自重しましょう(ウェストファリア条約)→白人同士はマズいけど有色人種ならオッケーでしょ→大航海時代(植民地獲得競争)→白人同士が取り分を巡って再び殺し合い→ウィーン条約で力関係の確定→これで心置きなく外へいける
こうして欧州列強の魔の手がアジアまで迫ってきたわけです。はっきり申し上げて、当時の欧州は超が付くほどの野蛮人の集まりです。平和に暮らしていた日本人にとっては、迷惑この上ありません。こんな国に「日本は侵略国家だ!」といわれても「お前が言うな!」という言葉しか出てきません。
最後に今後、日本と関わってくる主な国について紹介して終わりたいと思います。
イギリス
七つの海を支配する世界最強の海軍国。
ただし、やってることは何が紳士の国だと言いたくなる極悪非道な麦わらの一味。
ロシア
海がイギリスなら陸はロシア、世界第2位の超大国。
海洋進出のための不凍港(凍らない港)獲得を目指し、南下政策を打ち出すも何度もイギリスに邪魔されている。
軍事力はさることながら狡猾な外交力が武器、まさにやくざの手法。
地理的に近い日本にとって最大の脅威。
フランス
革命、革命、雨、革命。
リセットボタン押しまくりでも世界第3位の大国だからすごい。
叩かれても叩かれても復活する不死鳥っぷりは美しいというより、泥臭い。
アメリカ
イギリスから独立したばかりの新興国。
大国と呼ばれるのはまだまだ先の話。
オランダ
戦国時代以来、日本の最友好国。
オランダ風説書は、日本にとって最大の情報源。
しかし、欧州列強の中でははっきり言って雑魚。
ドイツ
三十年戦争の惨状で出遅れ、まだ統一されていません。
欧州のトラブルメーカーのひとつ。
ドイツと組むとろくなことがないという名言を後世に残される。
清
眠れる獅子・・・と呼ばれた時期もありました。
ただ、日本にとってはまだまだ強国にしてロシアに次ぐ脅威。
李氏朝鮮
国としてカウントしなくてもいいレベル。
後にこの地を巡って、清やロシアと対峙することになります。
次回は、日本を震撼させたアヘン戦争を取り上げます。イギリスの極悪非道っぷりにご期待ください。