第48回もう一度まなぶ日本近代史~バルカンから負の連鎖、第一次世界大戦~
バルカン半島の小国が同盟を結び、オスマン帝国との戦争に勝利したのはいいのですが、その後の領土分配を巡り、再び戦争が起こります。ブルガリアが袋叩きにされ、そのブルガリアがオーストリアに駆け込んでしまったことで話がややこしくなっていきます。ブルガリアがドイツ・オーストリア側についたことで、ロシアとの緊張がより高まっていったのです。
大戦の発端、サラエボ事件
前回、オスマン帝国で起こった「青年トルコ革命」の混乱に乗じて、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合したという話をしました。しかし、ボスニアにはセルビア人などスラヴ系民族が多く居住しており、彼らはオーストリアに併合されることに強く反発していたのです。そんな中、1914年(大正3年)6月28日にオーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻が軍事演習視察のためにボスニアの州都であるサラエボを訪れました。実は、この日は「聖ヴィトゥスの日」といって、セルビア人にとって重要な祝日だったため、セルビア人はぶち切れたわけです。どうして、よりにもよってこんな日にフェルディナンド夫妻がやってきたのかというと、夫妻の結婚記念日でもあったのです。なんという嫌な偶然でしょうか。
フェルディナンド夫妻がサラエボを訪れる際、セルビア人によって結成された「黒い手」という秘密結社が不穏な動きをしているという情報は、オーストリア・セルビア両国にも入っていました。ところが、両国とも「そんなに心配しなくても大丈夫でしょ」と真剣に取り締まりを行いませんでした。その結果、フェルディナンド夫妻はパレード中に「黒い手」のテロリストに暗殺されてしまったのです。これがサラエボ事件です。そして、ぶち切れたオーストリアがセルビアに宣戦布告したことで、世界を巻き込む大戦へと発展していくことになります。
地獄の雪崩現象
このオーストリアとセルビアの戦争は、複雑な利害関係によって、雪崩のように世界に広がってきました。まず、ドイツは当然同盟国のオーストリアにつきます。セルビアにはバルカン同盟国がつきますが、第二次バルカン戦争で袋叩きにされたブルガリアだけはオーストリアにつきます。次にオーストリアとバルカン半島を巡って対立していたロシアがセルビアにつき、ロシアと何度も戦い、仲が悪かったオスマン帝国はオーストリアにつきます。さらに露仏同盟により、フランスもセルビア側で参戦します。
露仏同盟に挟み撃ちに遭うことになったドイツは、シュリーフェン・プランという作戦を発動させます。ドイツのシュリーフェンさんという人が発案した作戦で、国土が広く戦力を集中させるまでに時間がかかるロシアはとりあえず置いておいて、まずフランスを速攻で潰し、その後でロシアと戦おうというものでした。しかし、これにはいろいろと問題がありました。短期間でフランスを叩き潰すため、意表をついて中立国であるベルギーを踏み潰し、そこからフランスを攻めたのです。これに怒ったのがイギリスでした。イギリスは安全保障上、ベルギーを緩衝国として置いておきたかったので、ベルギーに侵攻した国は自動的に敵と見なすという政策をとっていたのです。これにより、イギリスはドイツに宣戦布告します。しかも、ドイツはフランスの抵抗にてこずり、イギリスも参戦したことで、シュリーフェン・プランは頓挫してしまいます。さらにロシアが予想外に早く戦力をドイツに向けたことで、ドイツはピンチに陥ることになります。しかし、恐れていたロシアが意外に弱く、直後にロシア国内で革命が起こり、早々に戦争から手を引いてしまったことで、戦争は長期化していきました。ロシア革命については、次回やることにしますので、ここでは置いておきます。
イギリスの二枚舌外交
期待していたロシアが早々に退場してしまい、戦争が長期化する中で、イギリスは自国の味方を増やすため、様々な秘密外交を行いました。そのひとつが俗に言う二枚舌外交で、アラブ人にもユダヤ人にもいい顔をしました。実は、現在も続くパレスチナ問題は大体イギリスのせいだったりします。また、インドにも「直接統治はやめるからイギリスのために戦って」と言いながらその約束を反故にするなど、「騎士道どこいった?」と言いたくなる嘘をついたりしています。ちなみに三国同盟を結んでおきながら、オーストリアと領土問題で揉めていたため、中立を決め込んでいたイタリアに「終戦後、その土地の割譲を認めるよ」と言って、イタリアを引き抜くことにも成功していますが、そんなことは「当事者同士で何とかして」で終了させています。
日米の参戦と大戦の終結
なりふり構わないイギリスは、当然同盟国である日本にも参戦を求めます。参戦を表明した日本は、アジアのドイツ領をあっという間に占領してしまいます。また、地中海にまで艦隊を派遣し、ドイツ海軍を駆逐しています。実は、この頃の日本陸海軍はメチャクチャ強かったのです。
一方、アメリカはメキシコとゴタゴタしたこともあり、欧州になど構っている暇はなかったため、中立を宣言していました。(しっかり武器などを売りつけて儲けていましたが)しかし、制海権を連合国に奪われたドイツが潜水艦を使って、軍艦であろうが商船であろうが、無差別に魚雷で沈めるという無制限潜水艦作戦を取るようになり、イギリス客船を沈めたのですが、その中に多くのアメリカ人が乗っていたことをきっかけに、アメリカにおける反独感情が激化し、ついにアメリカも参戦に踏み切ることになります。これ以外にもアメリカはイギリスやフランスに対して、多額の債権を持っていたため、連合国側が負けると不味いという理由もあったようです。
連合国側に2大国がついたことで、同盟国側は次々と瓦解していきます。最後は、ドイツ国内で革命が起こり、皇帝のヴィルヘルム2世が退位させられ、ドイツ共和国が誕生すると、ドイツ共和国は連合国に降伏しました。こうして、900万人以上の戦死者を出した第一次世界大戦は終結したのです。この大戦で欧州各国の消耗は激しく、日米が世界の大国となっていきます。
第2次大隈内閣で外務大臣を務めた加藤高明。
桂太郎の立憲同志会を引き継いだ人物です。
次回やりますが、第一次世界大戦の際、外務省が暴走しまくりで、元老西園寺公望に嫌われてしまいます。
それでも、岩崎弥太郎の娘と結婚したことで、とにかく資金力があったことから、後に内閣総理大臣にまで上り詰めます。
あれっ?そういえば、最近もそんな人いませんでしたか?
次回は、第一次世界大戦中の外務省の暴走と世界初の社会主義国家の誕生をお送りします。