第49回もう一度まなぶ日本近代史~赤い軍団、ソビエトの誕生~

文:なかむら ひろし

 日米の参戦によって終結した第一次世界大戦でしたが、「これで世界に平和が訪れた」というハッピーエンドを迎えるどころか、様々な紛争を呼ぶことになります。いろいろな人がやらかしちゃってくれたのです。

暴走する外務省

 日本が日英同盟を名目に対独参戦に踏み切ったことに関しては、日本を東アジアの大国から世界レベルの大国へと地位を押し上げるという意味では間違っていなかったのですが、外交で大きなミスを犯してしまいます。対独参戦を表明し、中華民国におけるドイツ権益を占領した日本は、終戦後に占領した旧ドイツ権益を日本が継承することをイギリスから認められていました。そこで中華民国側にもこれを認めさせるべく、交渉に当たります。そのときに行ったのが、所謂「対華21カ条要求」です。
 その内容は、1)三東省の旧ドイツ権益を日本が継承すること、2)旅順・大連の租借期限及び南満洲の鉄道権益の期限の99カ年延長、3)中国沿海の港湾や島を他国に割譲しないこと、4)中国政府の財政・軍事顧問として日本人を採用することなどでした。結構無茶なことも言っているのですが、それはあくまでも希望を伝えただけで、大部分は「国際法に則った行いをしろ」というもので、特に国際的な非難を受けるようなものではありませんでした。しかし、ここで中華民国の大統領である袁世凱にはめられてしまいます。袁世凱は、中華民国の人民に「日本が我が国を侵略しようとしているぞ!」とあることないことを言って、煽り立てます。こうして、中華民国内で反日感情が高めておいて、「最後通牒という形でなければ、要求を受け入れることは難しい」と言ってきたのです。そして、袁世凱の要求どおり、最後通牒という形で日本人顧問の採用などを保留し、かなり緩和したうえで承認させました。しかし、袁世凱はさらに世界へ向けて、「日本は欧州大戦のどさくさに紛れて我が国を侵略しようとしている!」とあることないことを吹聴し始めたのです。
 このように上手いことやられた日本でしたが、実は外務省が勝手に進めた結果の有様でした。軍は強かったのですが、この頃から有能な外務大臣や外交官が失われてしまっていたのです。この件で、外務大臣だった加藤高明は元老に嫌われてしまうのですが、後に首相にまで上り詰めるわけですから、お金の力というものは恐ろしいものです。また、この時は加藤の後に外務大臣に就任した石井菊次郎のように「我々は最後まで連合国軍として戦う」というロンドン宣言に加入し、連合国の警戒心を解いたり、中国大陸利権で衝突していたアメリカとは石井・ランシング協定を結んで妥協策を見出すなど、頑張った人もいるのですが、こういう人の発言力が失われていくのです。

綺麗事で敵味方構わず喧嘩を売るウィルソン

 1919年(大正8年)、パリ講和会議が開かれ、日本も西園寺公望・牧野伸顕らが出席しました。これで晴れて世界の大国として、認知されたことになります。会議は、イギリス・フランス・アメリカ・イタリア・日本の5カ国によって進められ、ヴェルサイユ条約が締結されました。しかし、ここで会議を掻き回した人物がいました。それがアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンです。彼は、所謂「平和原則14カ条」を提唱したことで有名なのですが、これがいけません。とにかく現実にそぐわない理想主義的な綺麗事を掲げて、敵国だけでなく、味方にまで喧嘩を売ったのです。
 ひとつ目は、「海洋の自由」です。「海はみんなのものでしょうよ」と海を支配するイギリスに喧嘩を売りました。もちろん、同じ島国で海軍国家である日本に対する挑戦でもあります。結局、日英はスルーするのですが、これが日英米の関係が悪化する端緒になりました。次に問題なのが、「民族自決」です。これは、少数民族にもその気があるのなら、独立の機会を与えようというものです。聞こえは良いのですが、特にイギリスやフランスのような世界中に植民地を持つ国にとっては迷惑でしかありません。また、独立するための能力がない国が次々と立ち上がると紛争の種になります。日本も、韓国での三・一独立運動や中国での五・四運動が起こり、迷惑を被っています。しかし、一番被害を受けたのが敗戦国です。ドイツは、植民地を取り上げられ、オーストリアとオスマン帝国はバラバラに切り刻まれました。世界地図でバルカン半島や中東をご覧頂くと、狭い地域に小さい国が乱立し、それらがくっ付いたり離れたりを繰り返したりしています。この地域で紛争が耐えないのもこれが原因にひとつだったります。こうして、ウィルソンの綺麗事によって、様々な国が迷惑を被り、後の世界に起こる惨劇の端緒となったのです。
 散々綺麗事を吐いたウィルソンでしたが、日本が人種差別の撤廃を訴えても、それには反対しています。結局、自国の利益のことだけしか考えていないのです。まぁ、所詮こんなものですよ。

世界初の恐怖の社会主義国家の誕生

 ロシアは、日露戦争の頃から皇帝の圧政に対抗すべく、革命運動が活発化していました。そんな中、第一次世界大戦が勃発し、ロシアはドイツと戦うことになったのですが、戦争によってインフレが激化したことで、労働者や農民の生活はますます厳しいものとなりました。そして、サンクトペテルブルクで労働者が一斉にストライキが起こしたのです。しかも、鎮圧に当たった軍隊もこれに同調したことで、帝政はあっさり崩壊してしまいました。(二月革命)ここで発足した臨時政府ですが、ドイツとの戦争を継続するか否かで揉め始めます。結局、ドイツをある程度叩いてから有利な形で講和を結ぼうという話になるのですが、ドイツが思いのほか強くて返り討ちに遭ってしまいます。これによって、臨時政府は国内でも批判を浴びることになります。そんな状況で再び革命を起こしたのがレーニンでした。レーニンは臨時政府を打倒し、トップに立ちました。(十月革命)そして、すぐさまドイツとブレスト・リトフスク条約を結んで休戦しました。さらに国内では憲法制定議会を武力で潰し、反対派を弾圧することで一党独裁へと進めます。レーニンは、資本主義の矛盾や限界を叫び、やがて国家は社会主義へ発展し、最終的には国家などなくなり世界は共産主義となると謳いました。こうして、世界初の社会主義国家ソビエトが誕生したのです。

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秘密戦隊ソレンジャーは、レーニンに逆らう者すべてを抹殺する。
隊員がすべてアカレンジャーなのは、共産主義者の証だ。
共産主義実現のためには、すべての国家を破壊しなければないない。
それは決して、平坦な道のりではない。
頑張れ、ソレンジャー!負けるな、ソレンジャー!

 ソビエトという危ない国家が誕生したことで、革命干渉戦争に乗り出します。日本もこれに巻き込まれ、シベリアに出兵することになるわけですが・・・

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