第50回もう一度まなぶ日本近代史~シベリア出兵とは何だったのか~
第一次世界大戦に関しては、情報量が多いので、話が前後してしまい、かなり複雑化してしまいました。反省しています。ここで時系列順に少し整理しておきましょう。
ドイツがバルカン半島進出を巡りロシアとの同盟を破棄→ロシアがフランスと同盟→露仏に挟まれたドイツはピンチ→ドイツはロシアの目をアジアに向けさせるもロシアが日露戦争で敗北→ロシアは再びバルカン半島進出を図る→ロシアは独立を目指すバルカン半島の小国を支援し、衰退しつつあったオスマン帝国を撃破(第一次バルカン戦争)→勝った小国連合が分け前を巡って内輪揉め(第二次バルカン戦争)→負けたブルガリアがオーストリアに泣きつく→ロシア・バルカン諸国とドイツ・オーストリアの間に不穏な空気が流れる→セルビア人によってオーストリア皇位継承者夫妻が暗殺される(サラエボ事件)→オーストリアがセルビアに宣戦布告→これに様々な国が巻き込まれ、第一次世界大戦に発展→ロシア革命が起こる→ロシア(正確にはロシアが倒れてソ連が誕生する前)がドイツと停戦→レーニンがやばい奴だと判明して日英米らが革命干渉戦争に乗り出す(日本で言うシベリア出兵)→第一次世界大戦終結→日本の泥沼の戦いはまだ続く・・・
大雑把にまとめると、こういう流れになっています。今回は、シベリア出兵に関してやっていくことにしましょう。
チェコスロバキア軍を救出せよ!
まず、「チェコスロバキア軍って何よ?」っていう話なのですが、当時のチェコスロバキアはオーストリア・ハンガリー帝国の属国で、第一次世界大戦当初、同盟国としてロシアと戦っていました。しかし、捕虜となったチェコスロバキア人は、ロシアの傘下に下り、チェコスロバキア軍として同盟国軍と戦うことになったのです。その後、ロシアがドイツと停戦してしまいますが、独立を果たしたいチェコスロバキア軍は、その後も戦争を続けたいと言ったので、フランス軍に編入されることになったわけです。ところが、チェコスロバキア軍とロシア革命軍が揉めて、小競り合いを始めてしまいます。連合国軍は、この取り残されたチェコスロバキア軍を救出するという名目で、ロシア革命干渉戦争に乗り出したのです。
連合国側は、ロシアが第一次世界大戦から離脱してしまうと、ドイツの戦力がすべて英仏に向かってくるので困る、「フランスさん、ソ連が誕生したらシベリア鉄道建設の際の借金はチャラでお願いします」とか言ってきた、これまでのロシアが結んできた秘密外交文書を暴露したなど、共産主義を世界に広めること以前に無茶なことをするレーニンがやばい奴だと認識し始めていました。そして、一生懸命に反革命軍を支持するわけですが・・・
泥沼のシベリア出兵
日本も英米の依頼を受けて革命干渉戦争に参加することになるわけですが、当初アメリカは日本参戦に反対しました。アメリカとしては「これ以上、日本に大陸でデカい面をされては困る!」という理由でした。日本も日露戦争後、仲直りしたロシアが再び脅威となることを恐れ、出兵には概ね前向きだったのですが、関係が悪くなっていたアメリカとこれ以上揉めたくないという国際協調派という名の親米派というかアメポチが権力を握っていたこともあり、アメリカの言いなりです。結局、日本も参戦することになったのですが、ここからが悲惨です。意外とレーニンが粘り強く、欧州大戦で疲弊した英仏なんかは「もうチェコスロバキア軍を救出できたし、撤収!撤収!」と早々に離脱したのですが、日本は尼港事件という革命軍による日本人虐殺事件が起こったため、退くに退けなくなってしまったのです。最後までシベリアに残り、莫大な戦費を使って、莫大な死傷者数を出しました。しかも、革命軍を叩き潰すこともできないという、まったくの無駄で終わってしまったのですから笑えません。
ここで嫌らしいのがアメリカです。いつまでも戦っている日本に「日本は侵略しようとしているぞ!」などと言って、日本を国際的に孤立させようと頑張っちゃってくれたのです。ここで協力して革命軍を叩き潰していたらなんて考えると、本当に余計なことをしてくれました。レーニンからしてみれば、「アメリカさん、ナイスアシスト!」という感じでしょう。
オバハンは怖いよ
今回、最後に日本の内閣を見てみましょう。大隈重信を首相にして、総選挙で大勝し、2個師団増設と海軍拡張案を通したのですが、対華二十一カ条要求など、いろいろとやらかしたことから、欧州大戦の最中だったのですが総辞職してしまいました。次に首相となったのが、寺内正毅です。初代朝鮮総督を務めた人で、陸軍出身者です。山県有朋・桂太郎の後継で、陸軍・官僚をバックにつけた人物ということになります。寺内内閣は、政党員がひとりもいない超然内閣でした。
寺内内閣の時、大戦景気によりインフレが進み、米の値段が高騰していました。そこでシベリア出兵が決定されたものですから、「シベリア出兵によって軍用米が必要になることを見越した悪い奴が米を買い占めて値段を吊り上げているに違いない!」などの噂が流れ、富山県の漁村の主婦たちが暴れるという事件が起こったのです。これをきっかけに、米商人などが襲撃されたりする事件が全国で起こるようになりました。これが「米騒動」です。政府は、軍隊を出動させて鎮圧に当たったり、外米を輸入したり、米を安売りしたりして、なんとか収拾しますが、寺内内閣はこの責任を取って、退陣することになってしまいました。オバハンがきっかけで内閣を潰れるとか恐ろしいものです。
大阪のビリケンさんという神様に似ていることから「ビリケン宰相」と呼ばれた寺内正毅。
寺内が超然内閣を組閣したということもあり、「非立憲(ひりっけん)」ともかかっているとか。
ビリケンと呼ばれると気分を害しそうなものですが、本人は意外とこのあだ名が気に入ってたようです。
山県の秘蔵っ子があっという間に倒れてしまい、とうとう鉄道大好きなあの男が内閣総理大臣となります。次回は、大正デモクラシーをお送りします。